60円45銭

創作のネタとかいろいろ

白翼の鳥、虚の卵 中


 ――ぴとんぴとん、ばら、ばら、ばら。
 水の音、雨の音。

 盥をひっくり返したような激しい雨音に私は目を覚ました。……なんて騒々しい音。私はイライラしながらも眠りから覚醒するために目をこすろうとして、そこで気づいた。

 手が動かせない。

 どうして? なぜ?
 疑問と共にぱちりと目を開く。現れた視界に飛び込んできたのは、自室の天井ではない。
 無造作に積み上げられて視界を邪魔する木箱、見上げる天井は梁がむき出しで、屋根はトタン。なんてことだろう、まるでバラック小屋だ。こんな場所私は知らない。
 知らない場所にいる。それだけでも十分不安にさせられるのに、私の現状は「それだけ」に留まってくれなかった。

 手足を縛られている。

 両手首と両足首をロープのようなものでがっしりと固定されているらしく、子供の私の力じゃ……いいや、こんなの大人だってどうしようも出来ないだろう。

 流石にもう目は冴えていた。
 知らない小屋、縛られた手足、下校途中で途切れた記憶、車の音。
 それらから導き出される現状の答えなんて一つしかない。

『誘拐』

 いやな汗がどっと吹き出すのが、自分でもわかった。
 そうだ、そうだ……。これじゃあまるで、いや、こんなのは確実に誘拐じゃないか。つい最近もどこかで同年代くらいの子供の誘拐殺人があったって、ニュースでやってたばかりじゃないか。
 ぞわりと背筋に悪寒が走る。心臓がバクバクと五月蠅く音を立てる。
 ガムテープも猿轡も噛まされていない口から何か叫びだしそうだったが、歯がガタガタと鳴るだけで声なんて出ない。怖い、怖い……!

 逃げやきゃいけない。ここから、一歩も早く、今すぐ……!

 焦りと不安と恐怖。
 足掻いてみるのだけれど、そんなものは全くの無駄で。不自由な手足を使って、なんとか逃げ出そうと床の上を這い回るが、ドタンバタンと音を立てるだけでどこにもたどり着けやしない。

 翅をもがれた蜻蛉のようにじたばたしていると、積み重ねられた木箱の向こうから男の声がする事に気づいた。
 どうやら電話中らしく、ここにはいない誰かと話しているようだった。
 私は箱の近くまでなんとか這いずると、耳を澄ませて男の声に集中した。
 まるで感情のこもっていないようなアクセントで聞き取りにくかったが、幾つかの単語を拾うことができた。

『……娘は…………預かって………身代金………さもなくば……』

 ああ、なんてこと。
 全身からさあっと血の気が引いていくのがわかる。
 男は両親を強請っている。ふつうに生活していればまず聞くことのないような桁数の値段を要求している。
 電話の男の周りでは、他何人かの気配がひそひそと話している。私は彼らの会話に耳を澄ませる。

 ……聴かなければよかったと、心底後悔した。

 彼ら……私を誘拐した犯人グループは初めから私を生かして帰す気など更々なかった。彼らは身代金が手に入ろうが入るまいが、今日中に私を……私を……。
 積み重なった箱は、万が一拘束が緩んだとしても私を逃がさないための檻。沢山音を立てたから、向こう側の犯人たちには私がとっくに目覚めている事なんてわかっている筈。電話が終わったのか、ゲラゲラと大声で笑う声が聞こえる。きっと私の方を指さしてみんなで笑っているんだ。
 籠の中の鳥、いや、満足に動くこともできない私は虫篭の中の蛹も同然だ。犯人たちは二重に動きを封じた私を如何にしていたぶってどこに捨てるか楽しげに話し合っているのだ。

 ――気持ち悪い。胃の辺りがぐねぐねとせわしなく脈動して吐きそうだ。全身の力ががくりと抜けて、縄を外して逃げようとする気力もなくなってしまった。
 涙は出なかった。叫び声も出なかった。ただただ、静かな虚無感と絶望があった。

 終わるんだ、私。

 淡白な感想。
 引っ越しとか、憂鬱とか、泣いていたあの子とか、弟のこととか、両親のこととか、今までの友人のこととか、色々なことが頭の中をごちゃごちゃに駆け抜けていく中で、絞り出した感想がそれ。

 耳の奥でざざん、ざざんと海鳴りの音。
 いいや、ちがう。これは海の音なんかじゃない、私自身の血流の音。
 心臓が動き、生きている証。だけどそれももうすぐ終わる、終わってしまう。
 益々大きくなってきた雨の音が騒々しい。

 ざざん、ざざん、ばたばたばた。
 ざざん、ざざん、がやがや、ばたばたばたばた。

 塞げない耳から次から次へと雑音の波。閉じられる目を閉じて、私は念じた。
 ――うるさい、だまれ。





『可哀想に、小さな鳥』

 ――!?

 止まない雑音を縫ってはっきりと伝う声にハッとし、私は瞼をあけた。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、枝のように細い二対の鳥の足。
 徐々に上がる視線の先には、足に負けないくらい白い羽毛、大きく派手で立派な尾が順々に。そして細長い首に小さな頭と黒くつぶらな瞳の形を捕らえたとき、私は漸くそれの全体像を把握する。

 ――孔雀。真っ白な孔雀。
 神秘的でどこか神々しささえ感じさせる一話の孔雀が、その黒い目で私の瞳をじいっとのぞき込んでいた。

『可哀想に、哀れな小鳥』

 また頭の中に声がする。
 男のものか女のものかわからないけれど、子供の私にもわかるくらい美しい声だった。
 私は自然と、その声の主こそこの孔雀だと受け止めていた。

(あなたなの?)

 言葉にせず念じてみると、孔雀はぺこりと頷いたようにみえた。

(あなたは何者なの?)

 もう一度念じてみる。今度は不確定なお辞儀ではなくて、頭の中に声が返された。

『私はしがない居合わせの鳥。たまたまここへ降り立った。そこでたまたま小さな鳥を見つけた。あなたのことです』
(私が……鳥?)
『そう。鳥になりたいと願った者の心は鳥も同然。……ああ、なんて可哀想な小鳥。籠の中で翼を捥がれて、まるで屠殺場の鳥のよう。深く同情いたしますわ』
 孔雀はそう言って頭を幾らか下げた。
 なんてことないその所作が、何故だか馬鹿にしているように見えて。私は初めて、しかし小さな声を上げた。

「……同情されたって、私はもう助からないんでしょ?」
 ――そう。この常識を逸脱した奇妙な孔雀が現れたところで、どの道私はもう助からない。
 この箱の檻からも、犯人たちからも。万が一なんてない。
 私は怒りと不満を込めた目で孔雀を睨みつける。

「同情するなら、哀れむなら、……助けてよ。私を助けてよ。……出来ないでしょ」

 ――出来っこない。
 孔雀がただの話が出来る孔雀じゃないことなんて、もうわかっていた。この閉ざされた場所にひょっこり迷い込める大型の鳥なんて、どこの世界にいるというのか。
 この孔雀は人知を超えた存在だ。奇跡とか神秘の存在だ。もっと違う状況で出会っていたのなら、私は彼ないし彼女の存在に歓喜したに違いない。
 ……けれど、今まさに人生が終わるかもしれないというタイミングで。突然現れて突然哀れまれたとしても、全然嬉しくなかった。
 どうあがいても助からない状況を見物しに来たというのなら帰って。不思議な力を見せびらかさないで。私に希望を持たせないで。
 悔しさで顔を歪める私を見つめ返す孔雀の目は、鳥類らしく感情を感じさせない。
 けれど、一心拍置いた後、それは言った。

『助けてほしいと言うのなら、そうですね。それも可能です』

「……え」
 ポカンと口が開く。今、何と言った? 今、何て言った?
 孔雀は続ける。
『私は卵を温めてくれる鳥を探しにやってきました。そこで丁度鳥の気配を感じ、降りたって見たところ貴女が居たのです。しかし貴女は乱暴な狩猟者に囚われの身。私は諦めて別の方を探そうと思っていました。……ですが、貴女がこの場から抜け、生きることをこの私に願うのであれば。叶えてやれないこともありません。もし貴女が私の願い――卵を温めてくれることですが――それを叶えてくれると言うのであれば。私は貴女を全力でお助けしましょう。どうです? 悪い話でもないでしょう』
 つらつらと川のように吐き出される言葉の波に圧倒されそうになるが、今の私にとって大切な情報は拾う事が出来た。

 ――助かる。助けてくれる。

「それは本当……本当なの?」
『ええ。私どもはこのような場で嘘をつけない性分。助けると言ったら必ず助けます。全力でお助けいたします。その代り、貴女も私の願いを叶えてくださいね? いえ、簡単なお仕事です。卵を温めていただけるのか、いただけないのか。その返答次第で私は貴女を助けましょう。さあ』
 どうします? 孔雀は私を真っ直ぐに見つめた。
 どうするもこうするも、答えなんて最初から決まっている。

「温める……温めます。だから私を助けて」

 私の願い。それを受けた孔雀の顔が、不自然に笑った。

『ありがとう、小さな鳥私の大切な卵、貴女に託します』
 孔雀は長い尾を扇状に展開し、ばさりと翼を広げる。白い体が光を発する。眩い光に私は思わず目を瞑る。

 直後、お腹の辺りに鈍痛が走る。
 おへそを突き破って、何かが直接体の中に埋め込まれていくような苦痛が襲う。潰れた蛙みたいな声が口から洩れる。
 全身が熱い。心臓が馬鹿みたいに早鐘を打っている。呼応するようにお腹の中の異物もどくどくと脈動して、痛みは急速に薄れて行った。
 ざざん、ざざんと海の音。耳の奥で鳴る血流の音。頭の中で声がする。

『卵は無事に貴女の所へ行きました。私も貴女の願いを叶えましょう。二つの大きな願いを』
(――二つ?)
『ええ、二つ。助けてほしいというこの場限りの願い、そしてもう一つの切なる願い――』
 孔雀は「もう一つの私の願い」を確かに口にした筈だが、私には聞き取ることはできなかった。
 意識がぼんやりと途切れ途切れになる。お腹の中の熱に引きずられるように、猛烈な眠気が私を襲う。
『それでいいのです、お眠りなさい』
 耳元で囁きかけるような優しい声がする。

「お母さん……」

 母の名を呼び、私はもう一度眠りの海の中へと沈んでいく。

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