60円45銭

創作のネタとかいろいろ

外伝章/肖像

廻話以降世界観注意。

*****

 ある年の初夏のことだった。
 いつものように街をふらりと歩いていたあたしは、普段通らない道沿いにある、とある美術館前に貼られたポスターを目にして足を止めた。
 それは来週から開催される企画展の告知で、「にたもの展」というテーマらしい。
 細々と書かれている企画意図の説明によれば、『国・年代問わず、モデルの姿に共通点のある絵画を集めました』とのことだった。
 たしかに、ポスターに何点か掲載されている絵画に描かれた人物にはどこか似通った特徴があった。
 夜のような黒髪と、赤みがかった瞳。裸婦像でないものは決まって喪服みたいな黒い衣装を纏い、そしてどれも意味ありげな微笑を浮かべている。
 その姿はどことなく、あたしのよく知っている人物のようだった。
 いいや、だからこそあたしは足を止めたのだ。

「ヘンゼリーゼ、さま?」

 首を傾げて呟きながら、あたしはご自由にと置かれたパンフレットを手に取っていた。


 外伝章/肖像


 ヘンゼリーゼさまは魔女であり、そしてあたしのご主人さまの恩人か仇敵か後見人か同一人物である。
 まったく事情を知らない他人にこれを説明するのは難しいが、どれも一応の事実なのだ。
 ご主人さまである黒梅魔鬼さまはヘンゼリーゼさまに魔法の力を授かって、その代わりに寿命をごっそりともっていかれてしまった。そこからいろいろあって、寿命を返してもらう代わりにヘンゼリーゼさまと一つになってしまわれた。
 もっと具体的には憑依されたというか、融合してしまったというか、……とにかく魔鬼さまとヘンゼリーゼさまは一体化してしまったので、今ではヘンゼリーゼさまといったら魔鬼さまのことを指すのである。
 あたしはそんな魔鬼さまのしもべであって、ひらたく言えば人間ではない。
 魔鬼さまの力で人間の小娘に見える形になっているが、元は魔力ちからを宿した石ころで、名前ははちという。忠犬の由来ではなく、番号の8。だから本当は8番というのが正しい。
 というのも、魔鬼さまの僕はあたしの他にもいくらか居て、みんな魔鬼さまの力の影響で似たり寄ったりの姿になっている。その上時々増えたり減ったりするので、一々名前を付ける手間を考え、絶対に被らない番号を名前にしたのだ。
 ちなみにあたしは名前こそ8番だが、容姿だけなら他のどのなかまたちよりも少女時代の魔鬼さまに似ていると自負している。つまり一番可愛いのがあたしである。
 なかまたちは一番の甘ったれの間違いだろうと言うが、あたしは一番可愛いという得難いものを持っているのだから、多少の欠点くらいは目を瞑ってほしい。

 とまあそんな理由わけで、魔鬼さまの忠実且つ最も愛らしい僕であるこのあたしは、件の企画展のパンフレットを家――魔鬼さまのご自宅――へと持ち帰ったわけである。
 魔鬼さまのご自宅は少々特殊な立地にあって、魔鬼さまの他にはあたしたちのようなものとそうでもないものが何十という単位で同居している。
 西洋人形のような容姿だが実態は高位の悪魔であるようなひとたち・・・・もいるし、こちらの話が通じるような気がしない、得体のしれない魔物のようなものまでが同じ家の中に存在している。
 けれども互いに干渉しようとしない限り、顔を合わせることはおろかすれ違うことすら滅多にないので、家が狭いと感じたことは一度もない。
 その日だって、帰ってきたあたしを出迎えたのは、だいたいいつも顔を合わせているなかまたちだけだった。
「どこまで行ってきたの?」
 おかえりと迎えるでもなく口々に尋ねるなかまたちを無視して、あたしは魔鬼さまのお部屋に向かった。
 許しを得て入った魔鬼さまのお部屋にはなかまのいちがいて、机上の遊技台に向けて賽子さいころを投げているところだった。
 1は名前が1番なので一番姉ぶっていて、あたしたちを差し置いて魔鬼さまと戯れていることの多い、油断ならない存在である。
 あたしたちに姉と呼ぶよう強要して大抵の仲間には拒否されているが、あたしだけは特別可愛い上に優しいので「お姉ちゃん」と呼んでやっている。だいたい魔鬼さまも妹であるし、妹であることは恥じることではない。
 だがそれはそれとして、1だけ優遇されているように見える現状にはいささか不満を覚えないこともない。
「お姉ちゃんったら、また一人だけご主人さまとゲームして」
 あたしが立腹を示すと、しかし1は大して申し訳なさそうな様子もなくおもむろに振り向いた。
「だぁって、8ちゃんったらずっとお散歩に行ってるんですもの~。それじゃあ遊べないじゃな~い?」
「だからってお姉ちゃんだけご主人さまと遊んでるのズルいじゃん! ていうかそこ烏貝さまの席なんですけど!」
 あたしは1の座る席を指し、厳しく指摘してやった。
 そこは魔鬼さまのご友人だか恩人だか恋人だか、とにかくあたしより可愛がられているという点で一目置きつつライバル視している同居人・烏貝さまの席である。……であるので、同じく烏貝さまより格下の1如きが気安く座っていい場所ではないはずである。
 けれども1は大して意に介した様子もなく二コリと笑って、余裕綽々とした態度で首を傾げるのだ。
「あらいいじゃないの。烏貝さまはよんちゃんと一緒にお買い物中。お留守の間に椅子に座ってはいけないって決まりごとはなかったはずだわ、ねぇご主人さまぁ?」
「そうねえ」
 魔鬼さまは1なんかの意見に同意を示された。
 甚だ遺憾であるが、これに水を得た1はあたしを見て「8ちゃんも座ってみる?」だなんて言う。
 ……けれどそんな気などさらさらないことは、まるで立ち上がる様子がないことから明白だ。
 まったく羨ま……いや、意地の悪い。勿論答えは「お断り」である。
 すっかり拗ねかけたそのとき、ふと魔鬼さまが言った。
「ところでなにか要件があって来たのではなくて?」
 ああ、そうだった。あたしは本来の目的を思い出し、持ち帰ったパンフレットを示した。
「これなんですけど」
「あら。の絵じゃないの」
「やっぱりヘンゼリーゼさまの絵なのですか?」
「ええ」
 ご主人さまは頷いた。
「あら、なんの話かしら? お姉ちゃんも仲間に入れてちょうだいな」
 1は興味津々に身を乗り出してあたしの持つパンフレットを凝視すると、ほどなくふむふむと頷いて、ご主人さまを振り返った。
「ヘンゼリーゼさまの絵がたくさんあるだなんて初耳だわ。私たちにも教えてくださればいいのに」
「そう? ごめんなさいね、あまり必要性を感じなかったから」
「あら嫌だわ、ご主人さまが関わっていることならなんでも興味があるわよ私たち」
 1がそんなふうに言ってあざとく頬を膨らませたからか、ご主人さまは少しだけ『むかしのこと』を語ってくださった。『ヘンゼリーゼさまのむかしのこと』だ。
 どうやらヘンゼリーゼさまには昔から度々芸術家やそれを志すものの心を射止める魅力があったようで、気まぐれに絵のモデルを引き受けることも、一度に限らずあったのだという。
 けれどもヘンゼリーゼさまは大変飽きやすい性分のため、多くの場合は途中でモデルを投げ出してしまったのだそうだ。そのために、作品を完成させられた者はごくごく少数なのだとか。
 画家の立場からするとひどい話だが、あたしたちからすると「なるほどな」といった具合である。
 ヘンゼリーゼさまとはそういうお人で、そうであるが故に自分自身にすら飽きてしまったのだから。
 そう納得した上でパンフレットを見れば、たしかに初公開の未完成品やラフスケッチも多々展示されると書いてある。
 既に亡くなっている画家の遺族且つ親交のある者同士が、それぞれの遺品の中に似通った特徴を持つ女性の絵を見つけたことが企画展開催に至ったきっかけだとも。……まったくヘンゼリーゼさまは罪なお人である。
 あたしが少しため息が出そうな気分の中、1は媚びた声音でご主人さまに言う。
「なんにしろご主人さまのお姿ばかりが展示される空間なんて素敵じゃないですか~。ねっ、一緒に観に行きましょうねご主人さま~」
「お姉ちゃんずるい! あたしだって行きたいのに! ね、ね? ご主人さま、あたしも連れて行ってくださいねっ!?」
 1に負けじと熱視線を送ると、ご主人さまはしかし「どうしようかしらね」と悩むそぶりを見せて、散々あたしたちをじらした挙句にこう言った。
「やっぱり私は遠慮しておくわ~。どうしてもというなら貴女たちだけか、ほかの子と行ってきなさいな~」
「「ええ~」」
 あたしたちは声を合わせ、肩を落とした。
 それから何度か説得を試みたが、ご主人さまの意思は固く、どうしても一緒には行けないようである。ついでに後に帰って来た烏貝さまにもさらりと振られてしまった。
 仕方がないのであたしたちのなかまから行きたいものを募ったら、普段自己主張しない46しむがおずおずと手を挙げるので、あたしと1と46の三人で行くことになった。

 そうして迎えた企画展の初日。
 どうやら俗世にもヘンゼリーゼさまの魅力のわかる人間は少なくないようで、美術館内は静かに賑わっていた。
 見るものが見ればそれとわかる題材なだけに、あの無粋な【魔女狩り】の道化どもが紛れ込んでいないものかと警戒したが、幸いにも奴らの目は節穴だったようで、そういった不穏な気配は見られなかった。
 それにしても企画の主題である展示物は壮観なもので、どこを見回しても『黒髪の赤い目の女』ばかりである。
 画風、画材、技法、の違いはあるものの……知る人が見れば、それは明らかに同じ人物を描いたものだとわかるのだ。

 だって、すべての絵が笑っている。

 物憂げだったり泣いていたり、そうした表情のぶれが一切なく、似たような表情で笑う女の顔が、薄暗い展示室中にずらりと並んでいるのだ。

 その光景を「異様」と呟く声がちらほらと聞こえなくもなかったが、あたしたちからすれば見慣れた顔なので大して思うことはない。加えて展示室の薄闇はどこかあたしたちの家を思わせて、心地よくすらあった。
「やっぱり魔鬼さまに近いものにたくさん囲まれていられるなんて幸せねぇ」
 1がさりげなく呟いた。ご主人さま当人がいないところでまで媚びを売るとは本当に抜け目なくあざといやつである。

 一方で46はキャプションをしげしげと目で追い、それから元から小さい声を更に小さくひかえめにした声で、「随分と最近のものまであるのですね」と囁いた。
 確かに、46が黙読したキャプションにはつい最近の西暦と、あと作者不詳ということが書かれている。
「?」と思って見上げると、そこにはよくよく見知った横顔が油絵具で描かれていた。大まかな部分はヘンゼリーゼさまと違わないが、それはあたしたちの目には魔鬼さまに映った。
「あらやだ、誰がいつのまに描いたのかしら」
 同じく気づいた1が首を傾げる。「誰か絵を描く人が出入りしていたでしょうか?」と、46も不思議そうだ。そしてあたしにもよくわからない。
 そうしてみんなして同じ絵の前で首を傾げていると、不意に46が「きゃあ」と悲鳴を上げた。
 あたしと1は驚いて、一瞬遅れて振り向くと、どうやら誰かが46の肩を正面から掴んでいるようだった。
「なにをするのよ」と、あたしは気弱な46に代わって叫ぼうとした。けれどもそれよりも早く、46に掴みかかった誰かが声を上げたのだ。

「やっと見つけたぞ、ヘンゼリーゼ!!」

 それは周囲の迷惑なんてまるで気にしていないような大声だった。
 関係ない一鑑賞者にすぎない人間たちも驚いてしまって、幾多の視線がこちらに向き、静かな美術館内はにわかにざわついた。
 そこまできてあたしはようやく状況を把握したのだが、46に掴みかかっているのは一人の老いた男だった。
 ぱっと見たところ八十前後か、それ以上か。言葉通り骨と皮ばかりといった容貌で目も落ち窪んでいて、いかにも残りの人生長くはなさそうな風体なのに、目だけはギラギラと輝いている。
 46はその鬼気迫る老人に完全に怯んでしまって、肩を掴む手を払いのけようとする気配もない。そして老人はそんな46を見て尚も狂ったように呼び掛けるのだ。「ヘンゼリーゼ」と。
 あたしは少々嫌な予感がしながらも、この状況を収めなくてはならないと声を上げた。
「うちの妹になにするのさ!」――と。あたしたちはよく似ているので、対外的には姉妹ということにしている。
 頑なに姉を主張する1と違って46とあたしはどちらが姉で妹だとかは特に決めていないのだが、咄嗟に妹と言ってしまったのでそういうことにしておこう。46なら多分許すはずだ。
 老人はそこにきてやっとあたしたちの存在に気付いて、46と何度も見比べた後でか細く「あ」と声を漏らした。同時に46を掴む力が抜けたようで、あたしは未だ縮こまている46の手を引いて、自分の後ろに隠れるように示唆した。なにせ今のあたしは『姉』なので、こういう場面では『妹』を庇うものだと思った。
 それからあたしは腰に両手を当てて、ぽかんとしている老人に改めて問い詰めた。
「あのねおじいさん? ちょっとどういうつもりなのか聞いてるんだけど!」
「あ……う……。いや、その……」
 けれども老人の目は泳ぎ言葉は詰まるばかりでちっとも事が進まない。こちらとしては謝罪の一言でも貰えたらそれでよかったのに、それすらないとはとあたしは呆れた。
 そうしたら横から1がしゃしゃり出てきて、老人に目を合わせて「妹を誰かとお間違えのようですが、事情をお伺いしてもよろしいでしょうか?」と、展示室の外を指さした。
 既に周囲の視線を気にする余裕が出てきたらしき老人はその提案に賛同し、あたしたちは展示室を一旦離れたのだった。

「……さっきのことは、すまなかったね」
 展示室から離れると、老人はしおらしくなってすんなりと謝罪した。
 それからあたしたちの顔に次々と目をやると、この可愛い顔を前に失礼なことに、大きくため息を吐いたのだった。
 あたしは少しムッとしたが、すぐに溜飲が下がることとなる。
「落ち着いて見てみれば彼女・・とは似ていない。別人と見間違えるようでは私ももう駄目だな」
 老人は深く落胆した様子でそう呟いて、それから46に掴みかかった理由を語りだした。

 老人は画家であり、長年ある人を探していたのだと云う。そのある人が「ヘンゼリーゼ」である。
 ヘンゼリーゼはまだ画家として食べていけるかどうかも不明だった頃の彼の前に現れて、彼は彼女に頼み込んで肖像画のモデルとなってもらったことがあった。
 けれどもやはりというべきか。ヘンゼリーゼは絵の完成を目前として、忽然と姿を消してしまったのだった。
 若き日の老人はヘンゼリーゼを方々探し回ったがついに見つけられず、仕方なく記憶を頼りに絵を仕上げようとしたが、どうにも納得行かない。

 どうしても、なにか決定的なものが違っているような気がするのである。

 記憶の限り美しいものを描こうとしても、どこをどう弄っても。
 終ぞその違和感を解消することが出来ず、彼はその絵の完成を諦めてしまった。

 それから月日が経ち、彼はどうにか画家として生計を立てられるまでに至った。だが、ヘンゼリーゼの肖像を完成させることが出来なかった後悔は、今日に至るまでずっと消えることはなかったのだった。
 どうにかもう一度ヘンゼリーゼに会い、あの絵を完璧な形に完成させなくては。たとえ彼女が老いていても、本物を目の当たりにすれば何かが得られるはずだ、と。
 そう思っていたある日。彼の恩師に当たる画家が亡くなり、彼は遺族に請われる形で恩師のアトリエの整理を手伝うことになった。
 そして恩師の若き日のスケッチブックに、彼は自分が出会ったヘンゼリーゼと瓜二つの女の絵を見るのだった。
 否、瓜二つなんてものではなかった。
 古びた鉛筆の線の向こうに、記憶の中の女の姿が鮮やかに蘇ったのだと、彼は言う。
 そして確信したのだった。それは間違いなくヘンゼリーゼのラフスケッチなのだと。

 ――まさか。ヘンゼリーゼとは。

 彼の中にある仮説が芽生えたのは、まさにその瞬間だった。

 その後、更に似たような体験が二度三度と重なった。
 奇妙な偶然が重なるにつれ、彼の中の空想のような仮説は次第に確信へと変わっていった。

 ヘンゼリーゼは老いることなく生きている、人知を超えた女である――と。
 ならばもう一度あのときのままの彼女を呼び出して、自身の後悔に決着をつけなければならない――と。

「彼女を題材にしたと思しき絵をありったけ揃えて展示会を開けば、どこかで聞きつけた彼女が面白がってやってくるかもしれない、……わたしはそう思ったのだ」
 老人はうな垂れてそう言った。彼の話が本当なら、この特別展の企画者でもあるらしい。
 詳しいところは知らないが、画家なので美術館側とはつながりがあったりするのだろう。たぶん。
 彼は更になにかお詫びをさせてくれと言ったのだが、悪目立ちした直後だったので謹んで辞退した。
 ……いや本音を言えばなにかお詫びの品でもくれるのだったら歓迎なのだけれど、関わり合いになりすぎてあたしたちとヘンゼリーゼさまのつながりが知れても厄介だし、彼にとって恐らくは酷であろうから、そこはぐっと我慢したのだ。
 そう、みんなあたしを甘ったれというけれど、ちゃんと分別は付くし賢いのである。
 ということを帰りしなに言ったら、1には小馬鹿にしたように笑われた。何が悪いというのか。
 一方で46は「8はいつだって偉いです」と言う。流石は無意識に妹にしてしまっただけあってかわいいことを言う。あとでなにか譲ってやろう。おやつとか。

 その日の経緯を後に魔鬼さまに話したところ、その画家の名前には覚えがないとおっしゃっていた。
「描きたいという人はいくらでもいたから、一々覚えていないわ」とのことだった。
「それに私を留めておきたかったなら、置物のように扱うのではなくて、それ相応に持て成してくれないと。ねえ?」
 魔鬼さまはクスクスと笑って、それから「ところで」とあたしに尋ねた。
「特に気に入った絵はあったかしら?」と。
 その質問にあたしは一瞬「?」となった。質問の意図がわからなかった。だいたいすべてヘンゼリーゼさまの肖像なので、どのようなものであっても魔鬼さまと……今はヘンゼリーゼさまの僕でもあるあたしたちにとっては、どれも甲乙つけがたく素晴らしいものに映る。もし人間に知れたら奇妙に思われるかもしれないが、あたしたちは本能的にそうなっているのだ。
 だから咄嗟に「すべて」と答えそうになったとき、魔鬼さまは「特に気になったもの、でもいいのよ」と質問を改められた。
 そこでふと頭に過ったのは、ヘンゼリーゼさまでなく魔鬼さま自身を描かれたと思しき、あの横顔の絵だった。
 そのように答えると、魔鬼さまは菓子鉢を開けて薔薇の砂糖漬けを一つ与えて下さった。
 後で共に美術館へ行った二人にそれとなく探りを入れてみたが、砂糖漬けをいただけたのはあたしだけらしい。
 なぜかはわからないが、あたしは大変可愛いのでそういうことなのだろうと納得した。

 あたしが烏貝さまのお部屋のお掃除に入ったのは、それから何日かしてからだった。
 といっても烏貝さまはあまりお部屋にいないので埃を払う以外に特にすることはないのだが、その日あたしは床に一本の絵の具のチューブが転がっているのを見つけた。
 勝手に私物を弄ると怒られるともしれないので、そのとき拾ったチューブは棚の上に除けておいた。
 そしてその日烏貝さまがどこぞなりから帰ってくると、あたしはお部屋で絵の具のチューブを見つけたことを話し、訪ねた。
「烏貝さま絵なんて描かれるんですね」と。
「……わかってて言ってるのかも知れねえけど、私中学で美術部だったからな?」
 烏貝さまは苦い顔でそう答えて、更にはこの家の各所にそれとなく飾ってある絵の何点かは自身で描かれたものだと言う。
 そんな姿まるで見たことがないので驚いたし、ガサツそうなのにと更に驚いた。だいたい美術部といってもほとんど看板だけだったではないか――と、思っていることをそのまま口に出してしまったので怒られた。……我ながら悪い癖だ。
「こうみえてもたまに時間あるときに描いてるんだよ。庭の花とか、魔鬼とか。いろいろな。……しばらく前にも魔鬼の絵描いて、それなりに自信作だったんだけど……。アルミレーナのやつが画商ぶってどっか持ってっちゃってさ。……こちとら素人だってのに」
 そうぶつぶつとぼやいた後、最後に烏貝さまはこう呟いた。
「まあ、最近どこにあるかわかったんだけど」と。

 その晩こっそり隠し持っていた砂糖漬けを頬張って、あたしはこのご褒美の本当の理由が分かった気がした。

*****

2019. 5.14
 参考:断片章『613814274146』 / らくがきまんが
 おこのみ:乙魔エクストリーム・ヘ魔乙ビギニング

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