私が初めて「先輩」に会ったのは、小学三年生の夏休みだった。
きっかけは一枚の写真。
自由研究で町のことを調べようと思って、父に貸してもらったデジカメの中に、それはあった。
いわゆる、心霊写真。
必要な画を撮り終えた後に、たまたま通りすがった友達に撮ってもらった私の姿に被るように、赤黒い不気味な
靄がかかっていた。
「撮ったときにはそんなのなかった!」
友達は言う。気味が悪くなって、写真はすぐ削除した。
……それからだった。異変が起りはじめたのは。
ひとりになると、必ずどこかからの視線を感じるようになった。
夢見が異様に悪くなって、ほとんど毎日悪夢を見た。
いや、それだけなら異変というより悪い偶然ともいえただろう。しかし、
「なに、この怖いやつ」
デジカメを返された父が言った何気ない言葉に、私の背筋は凍り付いた。
確かに消したはずの写真のデータが、……ある。
そんなばかな、と思いながらもう一度写真を削除した。
けれどそんな私を嘲笑うかのように、写真は何度も蘇ってみせた。
その度に、禍々しさを増しながら。
連動するように悪夢の中身はどんどん酷くなって、ひとりになると視線どころか棚や机の上のものがひとりでに落ちたり動いたりするようになった。
怖くて怖くて仕方なくて、どうしていいのかわからなくなったとき、例の写真を撮った友達が言った。
「キタチューのビジュツブが、なんとかしてくれるかもしれない」
その頃、町の小学生の間には不思議な噂があった。
私たちがいずれ通う古霊北中学校の美術部は、どうしてか幽霊とか"ばけもの"と戦うことができて、「そういうの」に困った時に手紙を出してお願いすれば必ず助けてくれる、という噂話が。
友達の言葉でそんな噂を思い出して、私は手紙を書くことにした。
けれども、時は夏休み。
北中に手紙を出しても美術部はいないかもしれない。すぐに手紙を読んでもらえないかもしれない。
同じ町内の狭い田舎、おしゃべり好きな近所のおばさんにでも聞いてみればすぐに見つかるだろうと今なら思うけれど、当時の私にはまだその発想はなかった。
けれども友達の方は違ったようで、「いい考えがある」と私を引っ張って、たまに遊んでいた大きな神社まで連れて行った。
友達が言うには、神社のお姉さんが美術部と同い年らしい。自分は近所だからわかるんだ、と彼女は言って、やがて境内を掃除していたお姉さんを呼び止めた。
「北中の美術部の誰かに渡してください。お願いします」
頼まれたお姉さんは不思議そうな顔をしながら頷いて、けれどもろくに事情も語らずに去っていったおかしな小学生の頼みごとを聞いてくれたのだろう。
その日の夕方、神社のお姉さんとは違う、知らない中学生のお姉さんが一人訊ねて来た。
丁度また誰もいなかったから、また物が動いたりして不安だったから、玄関を開けるときもおっかなびっくりだった私に、お姉さんはこう言った。
「同じ苗字他にないし、手紙の住所ってここで合ってるよね?」
それが「先輩」だった。
「先輩」は私の悩みの元をあっさりと解決してしまって、「じゃあ」と素っ気なく帰って行った。
大してかっこつける風でもないその姿を、私は最高にかっこいいと思った。
いつか、あんなふうになれたら。
そのとき私は、はっきりとそう思った。
私は「先輩」に。――烏貝乙瓜になりたかった。
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