60円45銭

創作のネタとかいろいろ

断絶章/Koto's Dream.


「おおきくなったらなりたいものを描きましょう」

 保育園で出されたそんな”課題”に、白紙の画用紙をそのまま持って行ったら怒られた。
 自分で言うのもおかしな話だが、ぼくは当時から大層変わり者で、先生も手を焼いたことだろう。
「なりたいものはないのかな? お花屋さんとか、看護師さんとか」
 なんでもいいからなにかない? と説得する先生の心の中には、”もやもや”と”とげとげ”があった。当時のぼくにはそれを言い表す言葉がわからなかったけれど、ちらと聴こえた「めんどくさいな」という声から、それが良くない感情であろうことは充分察せた。
 ないです、なんて正直な気持ちを飲み込んで、ぼくはとりあえず握ったクレヨンで、当時流行っていたアニメのキャラクターでも描くことにした。なに、これで進路が決まるわけでもないし、なれるかどうかは別として、特撮ヒーローの絵を描いている男子もいる。
 とりあえずぼくが何かを描き始めたのを見て、先生の心の中の”とげとげ”は丸く落ち着いていた。

 物心ついたころから、ぼくには他人より多くのモノが視えていた。

 それは大人が言葉の裏で考えていることだったり、どこにでも居るのに誰にも気にされない不思議な住民達だったり、近いうちに起ることだったり。
 そういうモノを正直に言うと大人は気味悪がる。保育園の同じクラスの子たちは半分くらい信じてくれるけど、つまんないことを色々聞かれて面倒なので、ぼくは極力黙っていた。
 そのためか、周囲には次第に無口な子だなと思われるようになった。それでも、まあ別によかった。
 別に周りが信じようと信じまいと、ぼくにはお婆ちゃんがいたから。
 お婆ちゃんはぼくとおなじものが少しだけ視えていて、だからかぼくの言葉を信じてくれた。
 ぼくのように他人より多くのモノが視える力を”霊感”と言うのだと、そう教えてくれたのもお婆ちゃんだ。
 お婆ちゃんはいつでもぼくの味方で、つまるところぼくはそんなお婆ちゃんが大好きだった。

 お婆ちゃんはは神社の神官の血筋で、つまりその孫であるぼくにもその血は流れている。……というか神社はまだ続いていて、実家の手前がもう境内けいだいだった。神主だったお爺ちゃんは入り婿だ。
 ぼくが保育園で”おおきくなったらなりたいもの”を描けなかったのは、神主の孫としてゆくゆくは歴史ある神社を継ぐことが決まっていたから――ではない。
 そもそも跡継ぎがどうとか意識している小賢しい子供なら、それをそのまま描けばいいだけの話だ。

 なら、なぜ描けなかったのか。

 その理由は簡単で、ぼくには”ぼく自身が大人になったときの姿”がまるで想像できなかったからだ。

 あらゆる意味で変わり者だったぼくは、その頃から繰り返し見る夢があった。
 真っ白な光が落ちて来て、その中でぼくが動けなくなってしまう嫌な夢だ。そして動けなくなったぼくに対して、誰かの声がこう言って目が醒めるのだ。

『そちは大人になるまで生きられぬ。何者にもなれぬ』

 初めてその夢を見た時、とても怖くて跳ね起きた。痛みはとてもリアルで、目覚めて尚今見たモノが夢か現実かわからずに混乱した。真夜中で、真っ暗で、当時はまだ幼い自分を中心に川の字で寝ていたけれど、部屋の隅から見下ろしてくる”同居人”の影がいつもより恐ろしく感じられて泣き叫び、両親を困らせたのを覚えている。
 けれど繰り返し繰り返し見るうちにだんだん冷静になってきて、最後にかけられる言葉の意味を幼児なりに噛み砕いて、人生数年目にして悟ったのだ。

 どうせなんにもなれやしない。

 諦観ていかん
 ある日、お婆ちゃんにその夢のことを話した。それはもしかしたら、”近いうちに起ること”だけがわかると思っていた自分の霊感ちからが視せた未来の光景で、自分は大人になれずに死ぬんじゃないか。幼い語彙でそう伝えた。
 そうしたら、お婆ちゃんは泣き出してしまった。お婆ちゃんの心は”ざわざわ”していた。

「ごめんなあ、ごめんなあ。おっかない夢を見るのは全部婆ちゃんのせいだ。でもきっと、婆ちゃんがなんとかするからな」

 お婆ちゃんがなんで謝ったのか、ぼくにはわからなかった。ぼくには心が視えたけれど、そのときのお婆ちゃんの心の中にはたくさんのものが浮かんでいたから。

 ――”流星”、”顔の見えない白い人たち”、”お願い”、”涙”。

 そのとき視えた光景の意味をぼくが理解するのは、もっとずっと後になってからのことになる。

 ……お婆ちゃんが死んだのは、それから半年くらいしてからだった。

 死ぬことは何日か前にわかっていたので、葬儀の時はさほど悲しくならなかった。そうしたら、周囲には余計に奇異な目で見られた。
 ぼくの最大の味方で最大の理解者だったお婆ちゃんはいなくなって、代わりに似て非なる影がにやりとした。

 お婆ちゃんの死以降、ぼくはまた例の悪夢を見なくなっていた。それはお婆ちゃんが何かしたからなのか、それともまた別の理由があるのか――お婆ちゃんがどこにも居なくなってしまった以上、それを確かめる術は失われてしまった。
 悪夢は見なくなったものの、ぼくの毎日は相変わらず空虚なままだった。むしろお婆ちゃんという理解者を失って、ぼくはより孤独になっていった。
 そんなある日のことだった。降り始めた粉雪の中、参拝客もいない境内であの人に出会ったのは。

 お婆ちゃんの”友達”。燃える炎の色の目をした、考えていることが視えない人。
 お婆ちゃんの弔いに来て以降、その人は度々うちにやって来た。でも用があるのはお爺ちゃんや、父さんや、母さんじゃなくて、本殿の中に居る”きつねさま”にだった。
 なにを話していたのかは、そのときはいくら訊いても教えてくれなかった。
 その代わりに、保育園はどうだとか、友達はいるのかとか、そういった当たり障りのない話を会うたびに振られた。
 後になってしまえば、彼ときつねさまの話は小さな子供にわざわざ教えて聞かせるようなものでもないし、無難な話題だけになるのも仕方のないことだとわかる。
 だけど当時のぼくは、……他の大人相手には達観ぶってたくせに、なんだか仲間はずれにされたような気がして、悔しくて。そんなどうしようもない理由から、彼に対してひねくれた態度を取り続けていた。
 なにを訊かれても「べつに」とか「しらない」とか「ふつう」とか。そう答えたりして。

 ある意味それが本来あるべき姿なのだろうけれど、あの人の前では、ぼくはちゃんと年相応の子供だった。

 あるとき、彼はぼくにこう尋ねた。
ことちゃんは大人になったらなにになりたい?」と。
 家族にも、近所の人にも、保育園の先生にも、飽きるほど訊かれた質問。それにぼくはいつものように「べつに」と答えた。
「……べつに。どうせなんにもなれない」
 けれどそれはいじわるというよりは、思っているままの素直な気持ちだった。いつかの夢を思い出す。ぼくがなにをしようとしまいと、どうせなににもなれやしない。なににもなれないから、夢は持たない。
 大抵の大人がギョッとして、次に可哀想な子だと思うその返答に、ぼくは更に自分にしか知り得ない理由を付け加えておいた。
「大人になる前に死ぬから。決まってるから」
 これは明確ないじわるだった。ここまで付け加えれば大体の大人は泣くか怒るかドン引きする、そうわかっているから普段は絶対言わないフルコンボが決まったはずだった。
 だけど彼はというと、キョトンとしたように目を見開いたあとで、

「なろうと意識しなくてもなにかにはなるよ? なら、なりたくもないものになって死ぬよりは、せめてなろうと思ったものに近づいて死んだ方が良かないかい?」

 ごくいつも通りの調子でそう言って首を傾げるわけだから、まったく面食らってしまった。
 その言葉はまったく子供向けじゃなくて、でも利口ぶってるぼくには効果てきめんで、……きっとあのときぼくが感じたことこそが「目から鱗」というやつなのだろう。
「それで改めて聞くけど、異ちゃんがなりたいものはなんだい。あるいは好きなものとか」
 改めての問いに、ぼくはじっくりたっぷり考え悩んでから「おえかき」と答えた。保育園ではなにかと絵を描かされてきたけれど、描くこと自体は嫌いじゃなかった。
 彼は「じゃあそれが上手い人を目指したらいい」と笑って、ぼくの頭をぐしゃっと撫でた。

「まあ、アレだよ。君は視えているモノが少し普通じゃないだけで、だけど普通の人間でなくなったわけじゃあないのだから。たとえ運命が決まっていたとしても、自分の本当の気持ちにウソをつき続けて終わる人生なんて嫌だろ? 君が為したいことを成せばいいのさ。気楽に生きなよ」
 最後去り際、彼はそんなことを言い残していった。にっこりと笑いながら。

 それからぼくは絵を描いて彼を待ったけれど、あの日以来、彼がうちに来ることはなかった。
 裏切られたような気持ちが少しだけ。だけどきつねさまの様子を見ているに、彼は”来ない”んじゃなくて”来られない”んじゃないかと、だんだんそう考えるようになった。
 一年経って、二年経って、やがて彼に見せる絵は描かなくなってしまったけれど、絵を描くことはやめなかった。
 小学校三年生くらいまでは好きに描いていたけれど、そういえば”上手い人”を目指したらいいと言われたことを思い出したので、とりあえず家にあるアルバムの写真を模写したり、お小遣い溜めて買ったコミックを一冊丸々模写して絵の勉強をすることにした。
 そんなことをずっと続ける内に、そろそろオリジナルの漫画が描けるんじゃないかという気がしてきて、小学校の終わりくらいにはじめて自分で考えた話を描いてみた。
 とはいえ、今更思い返してみれば随分恥ずかしい出来だったように思う。漫画原稿用紙を売っている店なんて近所になかったから大学ノートに鉛筆描きだし、プロットなんて大して固めてなかったし、練習していたとはいえ絵も画面構成力も全然だったし。
 けれど、そんなものを自信満々に見せられた幼馴染の感想はどちらかといえば好意的で、だから次はもっと上手くて面白いものを描きたいと思った。
 そう思ったらストーリーを書くことはあまり勉強してなかったなと気付いて、とりあえず漫画を読んで『優れている』と思ったところを片っ端からメモしてみるようにした。伏線とか、展開の運び方とか、台詞回しとか色々。メモはやがて小説とかドラマとかでもやるようになって、自分は存外勉強熱心なんだなと気付いた。
 推理ドラマが好きだなと自覚したのもこの辺りだった。他人の考えていることなんて全部まるっとわからないほうがよっぽど得だと思ったのも。
 そう思うと、全部否応なしに視えてしまうぼくのリアルには考え抜いてようやくわかるような謎もなければ真実に辿り着くカタルシスもない。……随分と損な人間だなあと思った。
 けれども、創作の前ではずれているぼくでも他の人と同じように考えたり悩んだり怖がったり感動したりできる。
 そんな考えに至ったとき、ぼくはとても嬉しかった。生まれて初めてちゃんとした人間になれた気がした。

 そうしてだんだんと創作の世界にめり込んで行ったぼくは、気付いたときにはもうすっかりオタクと言って遜色ないような人間になっていた。

 未知のものへの興味から、だんだんホラージャンルにも惹かれて行って。中学の夏休みには古いVHSを借りてきて、幼馴染の斬子きるこ和憲かずのりと一緒に観たし、比較的近場の市に映画館入りショッピングモールが出来たときも、斬子を引っ張ってホラー映画を観に行った。
 ぼくに霊感があるということをぼんやりと把握している幼馴染は、「なんでわざわざ」と聞くけれど、ぼくにとってはとても大切なことだし、みんなが怖がれるもので一緒に怖がれるからそれがよかった。……と、そのまま口にしても上手くは伝わらなかったけれど。

 それでもよかった。楽しかったから。

 そんな楽しみを確立させてから数年が過ぎた頃だった。
 ぼくがまたあの夢を見るようになったのは。

 その頃、自分の能力や”あの人”のことに関して”ちょっとした山”を越えたばかりのぼくは、その夢の運命から「今度こそは逃れられないのだろうな」と悟った。
 もうお婆ちゃんはいないし、あの人もいない。ぼくの視た運命は誰かに相談したところでどうこうできることでもなく、ともすれば異常者扱いされて終わりだろう。
 終わりが視えはじめたその年の春先、ぼくは不意に彼の言葉を思い出した。

 ――なりたくもないものになって死ぬよりは、せめてなろうと思ったものに近づいて死んだ方が良かないかい?

 なろうと思ったものに近づいて。……そうだね、それがいい。そうしようか。
 思って、ぼくはペンを握った。

「最後くらい、夢を見てみようかと思うんだ」

 せめて終わるときのぼくが、少しでもなりたい自分に近いものでありますように。

******

2018.12.30
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