60円45銭

創作のネタとかいろいろ

『黒蛇の呪、雪の垣根』中

 家に帰ってから気づいたことが二つある。
 一つ目。
 鴉がたくさん鳴いているということ。
 街に張り巡らされた電線に、あちこちに生い茂る木の枝に、住宅の屋根の
上に。

 からす、からす、からす。

 帰り道には一羽も居なかったはずなのに、一体どこに隠れていたのだろうか。自宅の窓という窓から見渡す限りの高所に集まった鴉の大群が、カーァ、カーァと鳴く声がやかましい。あまりの騒音に耳を塞ぐほどに。

 そして気付いたことの二つ目。
 どうやらその鴉たちは、あたしにしか見えていないし鳴き声も聞こえていないらしい、ということ。
 お母さんは平然と夕食の準備をしているし、耳の遠いおじいちゃんおばあちゃんも何食わぬ顔で夕方の時代劇を見ているようだ。
 試しに、うるさくないかと聞いてみたら、ならテレビを止めようかとリモコンに手を伸ばすので引き止めた。
 上の階のお兄ちゃんもまた、いつもと変わらない平然とした様子でゲームをしていた。
 その部屋の、窓まで伸びた庭木の枝にびっしりと集る鴉など、まるで見えていないように。

 使えない兄貴め、ゲームの中の怪物にショットガンぶっ放すより、外の不気味なトリをなんとかしろよ!
 一人憤慨するあたしに意味が分からないという視線を向けるお兄ちゃんの後ろで、丸い目をした目の鴉たちが、……いや、いいや。そんなこと有り得ない筈なのだけれど。

 にぃっと、笑ったように見えた。


 ぞくりとし、兄の部屋を飛び出し自室に戻る。急いで窓の鍵が閉まっていることを確認すると、乱暴にカーテンを引いた。
 閉じたカーテンの向こうでは、まだ鴉がカァカァ言ってる。

 ……なんだ、なんなんだよあの鴉っ……!
 バクバクする心臓を抑えながら、あたしはその場にへたりこむ。
 糸が切れた人形のように崩れ落ちたあたしは、夕食までの短い時間を耳を塞いで過ごした。

***

 夕食を終えて、辺りがすっかり闇に包まれる頃。鴉の声はとんと聞こえなくなった。
 ……居なくなった、かどうかはわからない。確認する勇気もない。でも、何となく、もう居ないと思う。そう思いたい。
 自室で茫然自失としていると、お風呂に入って来なさいと呼ばる声がするので、ひとり風呂場に向かった。


 その風呂上がり、新たに気付いたことがあった。

 目が赤いのだ。
 充血じゃあ、ない。白目は何ともなかった。
 ――瞳が。
 瞳が、まるで色を上塗りされたかのように、真っ赤になっていた。

 なにこれ。病気?

 急に不安になり、頭を乾かすのもそこそこに脱衣所を飛び出す。
 仕事場から戻ってきていたお父さんがただいまを言うが、構うことなくお母さんに飛びつく。

「……おかぁさんっ、お母さんっ! 目、あたしの目変じゃないっ?」

 開口一番にそんなことを言うあたしをヘンな目で見ながら、お母さんは言った。

「何ともないよ? ゴミでも入ったんじゃないの、全く大袈裟ねえ」

「えっ……」
 ――嘘?
 念のためお父さんにも聞く。
「お父さん、あたしの目、色が、色がっ……!」
「なに言ってるんだ、お前の目は父さん母さんと同じ黒だぞ。急に青い目の外人さんになったりなんてあるわけないだろう?」
 ……一笑に付されてしまった。どうやら家族には何の変哲もない普通の目に見えているようだった。
 なら、赤い目はあたしにしか見えていない……?

 鴉といい、瞳といい。帰ってきてから変なことばかりだ。夢かともおもったが、それもどうやら違うようだ。……だって、つねった頬は、相変わらず痛いんだもの。
 じゃあ、やっぱりこれが現実で、今まさにあたしは、チョージョー現象ってのに見舞われているわけで。

「どうして……」

 ベッドの上で体育座り。一人つぶやく言葉とは裏腹に、心当たりは十二分にあった。
 あの神社の神様に気に入られたこと、結婚式を挙げさせられそうになったこと。
 ガッキが言っていた、『印』のこと。

「くそぅ。なんであたしなんだよう……」

 やり場のない感情を抱えがっくりとうなだれる。生乾きの髪の毛が頬に当たって気持ち悪い。

 どうすれば、いいのさ。どうすれば。

 行き詰まりを感じていたその時、携帯が鳴り始めた。
 唐突に鳴り響く着うたの音楽とバイブレーションにやや苛つきながら開くと、液晶に映るのは知らない番号。

 無視しようか。

 いつも通りなら、即座に『切』ボタンを押していたと思う。だけど、今日は妙な心細さがあったからだろうか。なぜか通話ボタンを押してしまったのだ。

「……もしもし?」
 恐る恐る呼びかけてみると、返事はすぐに返ってきた。

『もしもし、遊嬉ちゃん。大丈夫かい?』

 思いがけず、それはガッキの声だった。
 ……でもなんで? 連絡先なんて教えてないのに。だけど、今はそんな疑問よりもなによりも、安心感の方が大きかった。
 出会ったばかりでどうしてここまで思えるのか自分でも不思議だけど、何故だか、この人なら恐ろしい状況から救ってくれる、そんな確信があった。

「たすけて、鴉が、たくさんの鴉が、外、鳴いて……あと、眼が、なんか、真っ赤で……」

 ああどうしよう。頭の中がごちゃごちゃして言いたいことがまとまらない。きっといろんなことがありすぎたせいで混乱してるんだ。
 自覚してるのにそれを直せないひどい有様、ごちゃごちゃの訴え。これじゃあ何がなんだか伝わらないよ……。
 だけどガッキは。

『大丈夫だよ、少しずつでいいから。何があったのか話してごらん』

 やさしいことば。その安心感からか思わず涙が滲む。
 あたしは殆どしゃくりあげるようになりながらも、帰ってから起こったことを伝えた。

 鴉のこと。
 瞳のこと。
 家族には見えないし聞こえていないということ。

 それらを伝え終わった後、電話の向こう側のガッキは何事が考えているのか少し黙ったあと、言った。

『わかった。どうやらあちらさんは思っていたより執念深いようだね。一応社殿の中の遊嬉ちゃんに通ずるようなものは処分したのだけれど、やれやれ』

 溜息のような音が聞こえる。そんなにヤバイんだろうか。再び不安になる。

「ねえガッキ、どうしたらいい? あたしどうしたらいい?」
『大丈夫、落ち着いて遊嬉ちゃん。……しかしあちらさんがその気ならば、こちらもそれなりに対応する必要があるね。……そうだね、今日のところは――遊嬉ちゃん。遊嬉ちゃんの家に神棚はあるかい?』

 唐突に神棚の有無を問われ、あたしは一瞬きょとんとしたが、すぐに思い当たる。

「おじいちゃんの部屋に神棚が……」
『そっか、ちょうどいい。じゃあ遊嬉ちゃん、寝る前に神棚のところに行ってお神酒をお供えして。お神酒。わかる?』

 電話口なのに、あたしはコクコクと頷いていた。だけどガッキは『そう、それはいい』と、まるで見えているかのように話を進めた。

『お神酒をお供えしたら、「あとできちんとお礼をします、だから助けてください」ってお祈りして。できるね?』
「うん、うんっ……!」
『よし。それなら大丈夫。絶対に忘れちゃだめだよ』
 電話の向こうのガッキも安心したようで、僅かに微笑んだような息の音が聞こえた。


 電話のあと、あたしは脚立を引っ張り出して来て早速お神酒をお供えした。
 そして心の底から真剣に祈った。

 かみさま。どうかどうか、助けてください。必ずお礼をします。だからどうか助けてください……。


 祈りが通じたのか、その夜はもう何も起こらなかった。次の日の朝恐る恐る開いたカーテンの外には、一羽の鴉すらいなかった。
 あっさりと、平穏。

 だけどやっぱり、このまま何事もなく終わるなんてことはなかった。

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